学ぶ機会に恵まれた者としての責任



田舎で生まれ育ち、都会のように効率よく与えられる進学・専門教育に限っては恵まれた環境ではなく、エリートでもないため、優越感に浸ることもなく(できず)、結果尊大ぶることもなくこれました。



※(名をあげるのもはばかりますが)天の才を発揮された松下幸之助氏は小学校4年の途中で中退し、1年休学しているため実質2年半しか通学せずとも世界ブランドを築き経営に留まらず指導者として大成されたのとは対照に、知識偏重型の高学歴は弊害になる場合も散見されます。


ドラッカー氏の言葉を借りればエリートの時代は終焉し「今や大衆がエリートになり、エリートが大衆になる時代」でエリートは死語になるかもしれませんが・・・


日本最高学府の名総長の言葉を借りれば真のエリートは「本質を捉える知、他者をじる力、先頭に立つ勇気」を持つ人でしょうか。


学び

 

 

 

中学を卒業してからは親元を離れて、経済的なこと以外では自立を果たした一方

学業を疎かにし塾とも無縁でスポーツにもうちこまず、惰眠をむさぼりました。

 

効率とは真逆の寄り道をして多くの失敗を経験し、苦渋をなめました。

自らの浅はかな行いが、やがては自分にはねかえってくるという因果応報を若くして痛いほど経験したことが、一般人の私には(今となっては)案外よかったと思っています。

 

 

 

もがきながら得た良い意味での唯我独尊的強さを養い、同時に他人をさげすむことなく排他的ではない清濁併せ呑む考えをもてるようになり、人生に幅と奥行きがでてきたように思います。

 

 

 

20代前半には欧米のトップリーダーがようやく気づきはじめた東洋最高峰の問にも出会い、多くの人より、貴重な経験と知識をわずかながら持ち合わせる幸運に恵まれた者として、社会に役立たせるべく責任を感じております。

 

 

 

【勉強(学び)とは】

「完成はなく、人の役に立つ力を身につけること」と定義しています。

 学習は人との出会いがきっかけになることが多いですが、「独学かつ一生涯が基本」と考えます。

 ガンジーの言葉を借りれば「明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」でしょうか・・・